現在はファードⅡというアパートをしていますが、
溯ること35年前は高野寮という賄付きのアパートをしていました。
当時の工大生は今と違って中々のバンカラ気質、やんちゃ坊主が多い時代でした。
そのころの学生さんも今では50歳越え、会社でも家庭でも忙しい世代です。
それでもたまに「おばちゃん、元気かぁ?」と尋ねてきてくれたり、
コロナ禍で会いたいけど行けないからと地元の名産品を送ってくれたり
未だに細々と交流が続いています。
高野寮1期生、現在54歳のKさんは電気電子の学生でした。
寮生の電化製品が故障をすると
「専門ですから、直して進ぜましょう」
と圧倒的信頼の上に預けたものが数日で故障から破壊品となって
クレームがつくのを満面の笑みで交わしていた明るい学生さんでした。
卒業後も第2の我が家と思ってくれていたのか
金沢出張が多かったのでしょっちゅう顔を出してくれていました。
コロナが流行りだしてから専ら布マスクを作っては知り合いに配っていたのですが
そういえばKさんにも送ろうかしらと思って電話をしたところ
「実は今千里浜! 誕生日休暇で3日間休みもらったんで遊びに来てるんです。」
それならうちに寄ってよ!ということで
17年ぶりに遊びに来てくれました。
「ほんとはもう少し早く顔を出したかったのですが
身体調子が悪くて、積極的に外にも出たくなくて
こんなに時間がたっちゃいました。」
『きんちゃん(Kさんの同期)にはもう孫もおるげんてよ』
『けんちゃんは原付で富山から遊びに来とったんよ。』
なんて寮生の現在にひとしきり花が咲いたところで
「久しぶりやし、記念写真撮らんなんわ!
外出よ出よ!」
と自宅前に引っ張り出して 通りすがりの知らない人に
「悪いけど写真撮ってくれませんかぁ?」
とお願いしておばちゃんのデジカメでパチリ。
「・・・おばちゃん、僕一眼レフ持ってきたんだけど
使わずじまいや・・・」
「細かいこと気にしなさんな。
このデジカメでもそこそこいいがに映るもんやって!」
卒業した30年前とは風景も姿も
お兄ちゃん、おばちゃんから
おじちゃん、おばあちゃんに変わっているかもしれないけれど
しゃべるとすぐに30年前に戻ってゆきます。
日本中におばちゃんが日常を過ごした息子たちが
いるんだなと思うと
大家業っていうのは大変なこともあるけど
心の糧を増やしてくれてるなと
ありがたく思います。
今や孫とほぼ同じ年齢の学生さんが
アパートに入居されていますが
この子たちとも末永く付き合ってゆきたいなと
思う次第です。
ファードⅡの大家高野さんの独り言でした